そろそろ修習が始まるということで、この論争も正念場を迎えていますね。
僕自身は給費が望ましいのは言うまでもありませんが、税金の用途として月23万円を修習生に払う必要があるかは一考を要すると思っています。
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まず、今年は震災があったから修習生にお金をやる必要はないという主張もありますが、これは今年あるいは今後数年間にのみ妥当する話なので、給費制か貸与制かという議論においてはいわば飛び道具であり、本質的な争いではないと思います(今後数年に限って給費しないというのなら私はそれも構わないと思いますが、東北地方出身の方には特別の手当があってもいいかなとは思います)。
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次に、税金の使い道としてですが、給費が労働の対価ならば我々は胸をはって給費を主張できるわけです。
修習は一般企業でいう研修期間類似のものであると考えて差し支えないと思うのですが、研修期間は低いなりにもお給料はもらえますよね。みなし公務員だと何故もらえないと考えるべきなのかは私にはわかりません。
もっとも企業の研修と違うところは、司法修習生のすべてが任官されるわけ無いですから、研修先で働くための研修期間ではないということです。
しかし、修習のシステムは国の司法を担っていく法曹三者を国が一定の水準を保つために育てるというものであるはずです。
公的サービスである裁判を動かしていくには、この三者が必要なのですから、公的サービスを提供するために一定水準の法曹を要請することは必要なのではないでしょうか?
もとより、水準を確保するには裁判所内や検察庁内、弁護士事務所内で各々研修すればいいわけですが、全国的に最低水準を満たす法曹をつくるためには一元化した養成システムが必要になります(現在の修習は任官・任検希望者のスカウトとしての役割を果たしていることは否めませんが、これは副次的な問題です)。
全国的な水準を確保するという要請がどれほど強いかはわかりませんが、現在の修習システムがあるおかげで、2回試験に通る程度の能力は備えているという保証が国からされていることになります。
修習システムがなければ水準を満たしているかどうかはサービスを受ける依頼者側が各法曹の能力を調べ、依頼のリスクなどを負担することになります。
もちろんどのようなサービス業であれ、依頼のリスクは依頼者が負うべきものであり、法曹だけ特別視される必要はないはずです。
しかし、現在の法曹界は情報の公開が少なく、依頼者にリスクを負担させるには酷な面が多いです。
そこで、国が一定水準の法曹の質を担保することは必要であると思うのです。
したがって、国が法曹の質を担保することは必要⇒法曹の質を担保するには研修システムが必要(これとは別に試験を課すことも考えられますが、専門化などがすすんでいるために困難とも考えられます)⇒研修システムは司法という公的サービスの未来の提供者を養成する⇒一般企業の研修と同じではないか!⇒じゃあ給費でいいのでは?
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仮に貸与だとしましょう!
300万円を余裕で返せる可能性が高いのならそんなに不満もないのです。
しかし、この就職難の時代にそのように言える修習生がどれだけいるのでしょう?
僕らの期はおそらく30~40%くらいは来年の今頃は就職できていないはずです。
即独してどれだけ仕事があるかも全く見通しはわかりませんし、サポートも殆ど無いです。
このような就職難&即独者に対するサポートの乏しさがあり、返せるかもわからない借金を半強制的(兼業禁止なので生活するにはやむをえない)に借りさせるなんてどこの悪徳金融業者ですか。ナニワ金融ですか失礼しました。
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まぁ正直、お金があるに越したことはないのですが、もらうとしても23万円は多すぎであるというお叱りは受けてもやむをえないと思いますね。
最近出ている議論が、何故オールオアナッシングなのか、半分貸与、半分給費という折衷案はないのかということです。この点は、おそらく両陣営にとって譲歩することになるので交渉において不利になるのから主張されないのでしょう。
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また、そもそも司法制度改革では多様な人材を集めるという理念があったはずですが、多様な人材を集めるには、法曹が魅力的でなくてはいけません。給費と貸与では前者のほうが集客力が高いのはいうまでもありません。
本当に大変な生活をしている人もいるのです。ロースクール制度というだけで多様な人材の確保は大変になっているのに、貸与でさらに枠を狭めてしまって良いのでしょうか?
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友人に紹介されました。
http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2011/111027.html
デモとかどうなのよ?という気持ちは確かにある。他人がやっているのを見て「おつかれー」と思う自分がいる。
しかし、給費or貸与の結論は既判力的には対世効なんだけど、それは法的画一性のためであって自分が公の場でいずれかを主張したからではない。他人の努力の上の成果にフリーライドしてしまう。それが申し訳ないから給費を主張するために共同訴訟参加してみようと思うのです。
デモに参加できるのにしなかった者が貸与になったあとで、「政府がどうこう、給費が云々」言う資格はないと思うのです。
弁論主義を学んだ自分としては、主張しないことによる不利益は甘受しなければならないと思うのです。
自分にとっての利益不利益からくるモチベーションももちろんありますが、法曹界の未来のために今最も主張できる私達がやるべきことであるとも思います。
デモといえば、今回カウンターデモ(貸与推進側の対抗デモ)があるかもなようです。「一瞬にして暴徒と化す」という東京都公安条例事件がいう経験則は必ずしも高くないということを証明しましょう。
言論を戦わせましょう。