紛争の解決にはいろんな方法がありますよね。
ひとつは当事者が話し合って解決する、殴り合って解決(これは議論の放棄?)というような当事者のみで解決する場合。
もうひとつは当事者以外の第三者が介入することで解決するパターン。
仲介斡旋や仲裁、調停、ADR、訴訟などがあります。
和解は、訴訟上和解、起訴前和解、訴訟外和解などがあります。
訴訟上の和解(おそらく275条を読む限り起訴前和解)は民事訴訟法267条によれば確定判決と同様の効力をもつことになります。
これを債務名義として執行することができるし、既判力あるいはそれに類似する効力がみとめられます。
ここで以下のような事例を考えます。
・Aという集団は5年間の間、離散が許されない団体である(例え話です。法的拘束力などについてつっこみをいれてはだめ)。
・1年が過ぎた頃、A内でXとYがいさかいをおこした。
・Xの言い分もYの言い分も一理ある。
このような場合に和解と訴訟ではどちらが解決として優れているのでしょうか。
自分が裁判官となったら間違いなく和解を選ぶのではないかと思うのです。
和解というのは、(実際はどうなのかしりませんが)かなり柔軟です。
そしてまた当事者は互いに譲歩することが要求されます。
訴訟では原告は「通常」完全勝訴を目指しますから、譲歩なんてしません。
そうすると自己に非があることを認識していてもそれを認めるようなことはしないでしょう。そして完全勝訴をするためには「全部被告が悪い」というような論法・口調になりがちになるのではないかと思います。
んで、被告も同様。
その当事者の対立軸の中で裁判官は判決をだすわけです。
訴訟に現れるのは、真実ばかりではありません。
本音は訴訟になかなかでず、建前から本音を推察することにもなるかもしれません。
本音がでないまま判決を書くのはなかなかつらいし、独善的な気もします。
判決がでたらそれにしたがう(訴訟制度はそれを前提としていますので事実上従わない人は考えなくてよい)わけですが、紛争は解決されても、お互い憎まれ口ばかりであればもう取引や挨拶もなくなるかもしれません。
和解はどうでしょうか。
譲歩すれば、自己満ですが「譲ってやった」という気持ちもあるし、相手としても「譲ってもらった」という気持ちがあるはずです。
譲歩の際には、常識的に本音(非をも認める事)もわりとでやすいのではないかと考えられます。
そうすると当事者の気持ち的には訴訟よりも穏便であるし、あとくされも少ない、もしかしたら今後も付き合いがあるかもしれない。
こんな感じで昨日の敵は今日の友というようなシチュもありうるのではないかと期待してしまいます。
事例に戻りますと団体AはXY以外にも人がいるわけですから、当事者以外であるZらはXYの板ばさみ状態、あるいは両者とも無関係になる、あるいはどちらかに肩入れする事になるわけです。
そしてXYZはこれから4年間ともに同じ時を生きるということになります。
判決はXYの揉め事は解決できますが、後のZをも含めたA団体の今後の4年間をどれほど考慮できるでしょうか?
そういった意味で判決は本当に「個別的な」紛争解決手段の最たるものだなとおもいます。
駄文を長々と申し訳ない。