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2008年1月19日 (土)

医療過誤訴訟

今日も長いし、わかりづらいです。

先日最後のゼミがありました。

それで扱ったちょっとおもしろい判例をひとつ紹介したいと思います。

この認定に自分は驚きました。

以下の内容・捉え方は私のバイアスがかなり入っているので、正確な理解を得たい方は読まないかご自分で調べることをお勧めします。

事実の概要はこんなの

Aさんはいきなり、体の調子が悪くなった。

夜間救急として、Bの経営する病院でY医師(割と新米)の診察をうけ、Y医師は一時的に急性すいえんを疑い、二次的に狭心症を疑った。

Yは急性膵炎の治療として点滴を施した。

しかし、Aの病状は狭心症であった。狭心症の場合は、ニトログリセリンを投与すべき医療水準がある。

Aは点滴の最中に、不安定型狭心症から切迫性急性心筋梗塞に至り、心不全により死亡した。

Yが適切な治療を行ったならばAを救命しえたという高度の蓋然性は認められなかった(損害と行為に訴訟法上の証明に足りる程度の心証、つまり民訴の通説によれば80%以上の確信がなく、因果関係がないということ)。

もっともYが適切な治療を行ったならばAを救命しえた可能性があった(つまりこれは上のことを逆に考えると0%~80%未満の可能性ですね)。

そこで、Aの妻などの相続人が、債務不履行または不法行為に基づいてBに対し、A死亡につき損害賠償を求めた(使用者責任ですね)。

・・・・一審・・・・

Yの過失とAの死亡に因果関係なし。

請求棄却。

・・・・・・

そこで原告らは、予備的請求として「期待権侵害による損害賠償」を追加した上で、控訴。

期待権っていうのは、ここでは簡単に患者が医師が適切な治療をうけることを期待するってことにします。

・・・・原審・・・・

主位的請求については一審と同じく相当因果関係がないとして棄却。

予備的請求については、医療水準に叶った医療を行うべき義務を怠ったことにより、「Aは適切な医療をうける機会」を不当に奪われて精神的苦痛を被ったとして一部認容。

・・・・・

そこでBは因果関係を否定しながら、期待権の侵害を認めることは問題がある、期待権が不明確で適用に堪えないとして上告。

・・・・最判平成12.9.22・・・・

「Yの治療が、過失により当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、右医療行為と患者の死亡との因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明される時は、医師は患者に対し不法行為による損害を賠償セル責任を負うものと解するのが相当である。

けだし、生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものという事ができるからである。」

として原審の判断を支持。

・・・・・・・

どうすか?

ちょっとわかりにくいんですが…

まず、主位的請求の場合は因果関係ないからダメなんすね。

つまり因果関係があるという心証が証明に足りなかったわけです。

だいたい証明には8割程度の確信が必要だといわれていますから立証は極めて難しいんです。

だから因果関係はないからYの行為とAの死亡は無関係におきたんだってことですよね。

これは一審から最高裁まで全て共通してます。

でも原審は、因果関係ないけどなんとか被害者を保護してあげたいと思って、「適切な医療をうける機会」という保護法益をつくったんですね。

この原審が言う機会とYの行為とは因果関係があるんだということで、原審は予備的請求については一部認容したんです。

予備的請求って実は主位的請求と実質的にかわらないんじゃないかっていうのが上告人側の上告理由です。

実質的に同じなのに片方を否定してもう一方を認めるのは矛盾してるだろうと。

因果関係の立証が難しいから、原審の判断は実質的には証明度を緩和したようなもんなんです。

これは病院側としてはたまらないわけです。

ここで最高裁は「適切な治療を受ける機会」じゃなくて「適切な医療を受けていれば生きてた相当程度の可能性」を保護法益、利益にしたと思われるんですね。

つまり原審とは若干ニュアンスが違います。

原審ならいきてた可能性なくても機会を喪失すると請求認められるんですが、最高裁のでいくと機会喪失があるのが前提で、いきてた可能性が必要なんです。

機会喪失は潜在的な必要条件である要件というわけです。

なかなかかわった保護法益ですね。

上告理由をかわしているのかは微妙ですが、理論的には違うんだということでしょうか。

ここらへんに「当事者の公平」という裁判所の苦心がみられますね。

ちなみにこの最高裁がいった「相当程度の可能性」なんですが、鑑定では適切な医療を施していきていた可能性は20%以下だと報告されています。

これを相当程度というあたり、最高裁は相当イカれ…なんでもないす。

ちょっと補足しますと

主位的請求の場合

行為-因果関係-死亡

     ↑これの存在につき80%以上の確信が必要(立証困難)

予備的請求

行為-因果関係-生存可能性

     ↑立証容易 ↑立証容易

という感じになると思うんですが、生存可能性っていうのは主位的請求における因果関係の証明概念を除いたようなもんで、ほぼ同じなんですよね。

例えば心証が50%の場合は訴訟上の証明はされませんが、「因果関係につき、50%の心証があること=50%くらいの因果関係があること」にはなるわけですから、この立証は語弊がありますが、証明の対象の心証自体を証明対象にした感じだと僕は思います。

証明対象のレベルが違うんだろうと思います。

何度も言いますが、実質的に証明がすごく緩和されてないすか?

んでもってこの可能性を損害として認定することは損害概念が異様に広くないかって感じです。

大げさに言うと、債務不履行があったら損害があったといってしまうようなもんです。というか債務不履行が損害という感じになりませんか。

う~ん。

僕はなんだかんだいっても最高裁に賛成ですがね。

蛇足ですが、この判例は初めて期待権を認めた最高裁判例だと言われていますが、それを認めさせた弁護士ってかっこいいなぁと思いした。

時代の流れを変えたというか。

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